私の好きな最強タッグは和田竜二とテイエムオペラオーです

 

騎手と競走馬のタッグで最強と言ったら、間違いなく「和田竜二」と「テイエムオペラオー」が5本指に入る候補に上がると思います。

 

まだ和田竜二が若い頃、騎手として同期の中で一番早く重賞などを勝ち、強気で光る実力の片鱗を見せていた騎手でしたが、それと同じく光る素質を見せながら、ごく普通の評価しかなかったテイエムオペラオーが「岩元市三」厩舎の元で出会いました。

 

しかし、1番人気で迎えた新馬戦はあっけなく負けて2着、芝は走らないと思ったのか、2戦目はダートの未勝利で走らせて4着、これはもう駄目なのかと、3戦目のダートの未勝利でようやく1着と勝ち上がりました。

 

そこから和田とともに、ゆきやなぎ賞、毎日杯と2・3番人気でしたが連勝し、皐月賞G1に出場しましたが、連勝して勝ったとはいえ走破タイムが悪く、2000メートルを2分4.1秒と他の馬と比べかなり悪かったので、皐月賞の人気は5番人気とあまり人気がありませんでした。
しかし、終わってみれば2分00.7秒というタイムで大幅にタイムを縮めて優勝し、いきなり化けて一躍人気馬の仲間入りを果たしました。
そして、この時が和田竜二騎手の初のG1勝利でした。

 

しかしそれでも、「アドマイヤーベガ」などの良血馬などが強く人気があった為、ダービーの直線の切れ味でアドマイヤーベガに負けて、菊花賞では同じ若手騎手の「ナリタトップロード」に負けて、結局、皐月賞の後は一度も勝てませんでした。
しかし、年が変わって5歳になってから、テイエムオペラオーは怪物的な馬に急成長したのです。

 

年の初めの京都記念を勝ち、それを序章にして、阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念、京都大賞典、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念と、5歳になって負け知らずの怒涛の8連勝をして、この時ばかりは、テイエムオペラオーに敵はいないと、和田竜二騎手の「シャー」という勝利の叫び声がすごかったです。

 

しかし、6歳になった時は燃え尽きたのか、天皇賞と京都大賞典だけしか勝てず、最後の有馬記念で引退しました。
ですがこのテイエムオペラオーのおかげで、和田竜二という騎手はJRAでは忘れられない騎手となり、和田竜二と言えば、テイエムオペラオーとでるくらい超有名になりました。

 

あの時の怒涛の8連勝のおかげで私も馬券で大勝ちさせてもらい、和田竜二騎手の大ファンになった1人です。
本当にありがとう、和田竜二そしてテイエムオペラオー。

 

2012年第12回JBCクラシック / 和田竜二騎手勝利ジョッキーインタビュー

 

 

 

 

和田竜二とテイエムオペラオー

 

 

私は「テイエムオペラオー」が好きだった。

和田竜二」は、オペラオーに乗っている騎手に過ぎなかった。

 

今でも、テイエムオペラオーを称賛、あるいは、ときに擁護しようとする人は、若い和田竜二が乗っていたことはマイナス要素だったと主張することが多いだろう。

ひとつは経験、騎乗技術の点で。もうひとつは、他の騎手から熾烈にマークされてしまう、若さや立場の弱さといった点で。

 

当時の私もそう考えていたのだろう。

オペラオーの引退式で、「この馬に認められるような騎手になりたい」という彼の言葉に好感を持った。

だが、それは志を頼もしく感じたというより、オペラオーに釣り合う技量を持っていないことを自覚しているのだと解釈したからだった。

 

近年になってようやく分かったのだが、和田竜二は、馬の力を信じ、それをストレートに出そうとする騎乗を心がけているように見て取れる。

例えば、「ナムラクレセント」での外連味のない先行策だ。

力を出し切って負けたのなら仕方ないという考えは当たり前のようだが、レースで実践し続けるのは難しい。

 

その姿勢は、オペラオーから学び、同時にオペラオーに還元されていたものだったのではないかと、私は考えるようになった。

あれほどの馬なら、騎手が余計なことをせずに馬の力をストレートに出すことこそ最大の武器になるだろうから。

 

すると、当時の和田竜二は、決してオペラオーに釣り合わない騎手ではなかったのだ。

テイエムオペラオーあっての和田竜二であり、和田竜二あってのテイエムオペラオーだったのだろう。

 

全26戦途切れることのなかった、史上に残る名コンビだった。

 

2011年7月3日京都6R・和田竜二騎手 JRA通算700勝達成

 

 

 

(画像出典:ウィキペディア)

 

和田 竜二(わだ りゅうじ)

1977年6月23日

滋賀県出身

日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属