伝説の名馬の名にふさわしい「流星の貴公子」テンポイント

 

私は「テンポイント」が亡くなった1978年から「ミスターシービー」が登場する1983年までの5年間は、なんとなく競馬を積極的に見られなくなっていました。
それほどあの1978年1月の日経新春杯でのテンポイントの骨折事故は当時高校2年生の私にはショックが大き過ぎました。

 

それまでも何度か競馬中継でレース中に骨折をしてしまい、予後不良になってしまう馬を見ていましたが、自分自身の思い入れの強い馬のあの姿を見てしまうと、しばらく放心状態になってしまい言葉も出ませんでした。

 

テンポイントの額の流星とあの栗毛の馬体は、本当に美しかった。
流星の貴公子」とはよく付けたものだと思いました。

 

テンポイントは1975年8月にデビューしました。
以外にも皐月賞2着、ダービー7着、菊花賞2着と3冠レースでは無冠に終わっています。

 

ただ5歳になってから能力の片鱗を見せ始めてきて、競馬史に残るあの有馬記念での「トウショウボーイ」との直線でのマッチレースはファンであれば鳥肌ものでした。
この世代は「テンポイント」、「トウショウボーイ」、「グリーングラス」と後に3頭ともに有馬記念馬になる最強世代でした。
それぞれのファンも多くて、良い時代でした。

 

そうして年が明けてテンポイントは6歳になり、海外遠征を行うことになったのです。
2月にイギリスへ向けて出発することになり、その壮行レースとして決まったのが1978年1月22日の日経新春杯でした。
これは、ファンが「遠征前にもう一度テンポイントを見たい」という要望に応えて決められたレースだったのです。

 

しかし斤量は66.5Kgと今では有得ない負担重量でした。
その結果、一番恐れていた結果になってしまいました。
今でもあの時の映像を見ると当時の事が思い出されます。

 

テンポイントを管理していた小川調教師は67Kg以上であれば出走を取り止めるつもりだったようです。
それくらいテンポイントは力を持っていたようです。

 

今はテンポイントの骨折を機にハンデキャップの負担重量も見直されて現在に至っています。
葬儀も行われて、これほどファンに愛された馬は居ないでしょう。

 

テンポイントだ 杉本清 名勝負物語