今でも思い出に残るタケシバオー

 

私の思い出の競走馬は、今では知っている人も少ないと思いますが、「タケシバオー」です。

タケシバオーを知ったのは大学生の時です。

当時は有名な大学紛争の盛んな時で、私の大学でもほとんどの授業が中止になっていました。

そこで、大学にいても時間の無駄なので、友達に誘われて新宿のデパートでアルバイトを始めたのがタケシバオーに関わるきっかけです。

 

たまたま、勤務先の売り場に男性社員のK君がおり、同い年ということもあって一緒に食事をする仲になりました。

K君は競馬が大好きだったことから、一緒にお金を出し合って共同で馬券を買い、当ったら山分けにする話になりました。

新宿には場外馬券売り場があったので、私が買いに行く役目になりました。

 

私は高校時代から賭け麻雀やビリヤードをしてギャンブルは好きだったので、馬券は買っていませんでしたが、当時、「タケシバオー」、「マーチス」、「アサカオー」の3強がいたことは知っていました。

また3強の中では、皐月賞・ダービーを2着だったタケシバオーの不運さがなぜか一番印象に残っていました。

 

それから、毎週のようにK君と競馬の予想をすることになりましたが、私はタケシバオーの出るレースは必ずタケシバオーから流して買いました。

K君は私がタケシバオーを買うことを知っていたので、他の馬を頭にしていました。

 

タケシバオーは出たレースのすべてに1着でしたが、2着の予想が当たらなかったために外れた馬券もありますが、かなり儲かったはずなので、K君には相当おこぼれを上げたはずです。

タケシバオーのレースは天皇賞を勝った時のレースなど、色々思い出がありますが、何と言っても忘れられないのは、東京競馬場の1,700mダートのレースです。

60kgのハンデを背負いながら、全く他馬を寄せ付けずに信じられないようなレコードタイムで大差勝ちしたレースです。

今でもそのレースは忘れられません。

 

タケシバオー 第59回 天皇賞・春