私がハイセイコーを初めてテレビ画面でみた時に感じた、何か分からない衝撃から追い続けていました。

 

ハイセイコー」。
1973年の菊花賞!初めてテレビ画面で見た時の衝撃は、後にも先にもあの時だけです。

 

それは私が中学1年生の時に、家族で行った温泉宿のロビーにあったテレビで偶然見た事がキッカケでした。
それまで私は競馬というものに全く関心がなかったのですが、あの時見た菊花賞での「ハイセイコー」と「タケホープ」のデットヒートが物凄く脳裏に焼き付いて離れなくなってしまいました。

 

その日以来、競馬に物凄く興味が湧いてきました。
全く競馬に関しての知識が無かったので、あのハイセイコーという馬は毎週日曜日に走るものと思い、テレビを付けますがなかなか出てきません。

 

今とは違いインターネットも何もない時代だったので、情報の入手源は毎週日曜日の15時からやっていた競馬中継と雑誌くらいのものでした。
とにかく、またハイセイコーが見たいという気持ちが日に日に増していき、競馬の事がもっと知りたいと思いました。

 

そうして、「優駿」という競馬専門誌がある事が分かり毎月購入をして、隅から隅まで読みました。
知らず知らずのうちに競馬の専門用語も覚えて、競走馬のローテーション等も理解するようになってくると、更に競馬にはまってしまいました。

 

ハイセイコーは1972年に大井競馬場でデビューして6連勝、よく年1973年に中央競馬へ移籍してその後も連勝して最初の三冠である皐月賞も勝って、ダービーでは3着と敗れましたが、「地方出身の競走馬がここまで頑張っているんだ!」と勝手に思い込んでいた少年でした。

 

ただ不思議と負ける度に愛着が増していってしまう不思議な魅力をもっている馬でした。
怪物ハイセイコー」と言われ、第一次競馬ブームの立役者です。

 

今でこそ競馬は、老若男女が楽しんで観戦したり出来るようになっていますが、その当時の競馬のイメージはまだ「ギャンブル」という考え方が強くて競馬場の馬券売り場も決して雰囲気はよろしくなかった時代でした。

 

だから、あのハイセイコーブームがなかったら、間違いなく今の競馬に対しての位置は確立されていないと思います。
あれから40年経って私も52歳になりました。

 

北海道に住んでいる事もあって、今でも毎年ハイセイコーの墓参りに行っています。
さすがに時代の流れでしょうか、お参りに来ているファンは少なくなってしまいましたが、私の人生の中でもっとも夢と勇気を与えてくれた馬は、”ハイセイコー”ただ1頭です。

 

ハイセイコー 昭和48年 第33回 皐月賞