砂の女王ホクトベガ

hokto競馬ファンなら、これは名実況だというものが誰でもあります。

 

その中でも特に有名な実況が、第18回エリザベス女王杯で関西テレビの馬場アナウンサーが言った「ベガはベガでもホクトベガ」ではないでしょうか。

 

その当時は、ベガが3冠馬を掛けてのレースでした。

ベガは順調に調教を積むことが出来なくて、ぶっつけ本番でレースを迎えたのですがそれでも2番人気でした。

 

その時に勝ったのが後の砂の女王の「ホクトベガ」です。

 

このエリザベス女王杯は、まさに完勝とも言える内容で本当に強さを見せ付けたレースでした。

その後も、ホクトベガは果敢にレースを続けます。

 

翌年は札幌日経オープン、札幌記念を連勝し、1994年は9レースを走る馬主孝行な競走馬でした。

その後も芝でレースを続けて、入着を続ける堅実なレースを続けていたのですが、中々勝ちきれないレースが続いていました。

 

そこで陣営は、川崎のエンプレス杯という地方のレースに出走させます。

このレースは1番人気に支持されたのですが、地方の牝馬のトップホースの「ケーエフネプチュン」、「アクアライデン」が出走して、ホクトベガがどれだけのレースが出来るかが注目されていました。

 

泥んこの不良馬場で行なわれたそのレースで、大差の大圧勝でホクトベガは勝利します。

1996年からはダートを主戦場として、「キョウトシチー」や「アドマイヤボサツ」等の実力馬も撃破、名実ともにダート最強馬になります。

 

しかし、1997年のドバイワールドカップで悲劇が待っていました。

記憶にも記録にも残る名牝が、ホクトベガなのではないでしょうか。

 

ダート伝(ホクトベガ)